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シャツ 楽器に関する旅行記
- 母娘旅ソウル4日間~Day3~...
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■7:30 起床
今日はオプションで頼んだエステの日。
10時にロビーピックアップだったから、
まぁ近くのカフェで軽く朝食とりますかね~
と思っていたのに、今日も朝からどしゃ降りでした。。
大人しく昨日かったカフェラテや、お菓子を食べて、
(エステのために)スッピンでダラダラ過ごすw
■11:00 エステ的なこと
もう1組の若いカップルを乗せて、ワゴン車で移動。
そういえば、お店の名前も地域もなにも知らされてないのよね。
10時に乗って、1時間ぐらい川沿いを走ったけど、あれはどこらへんだったんだろうね。
日本語がしゃべれる恰幅のいいねーちゃんにエステのカウンセリングを受ける。
・・というか、いかに基本コースにオプションを付けさせるかの営業。
アートメイクは眉毛1万8千円と言われて、ちょっといいなと思ったけど辞める。
基本コースは、
汗蒸幕、水晶サウナ、緑茶風呂、高麗人参風呂、アカスリ、
泥パック、シャンプー で、85000ウォン。
私のアトピー具合を見て、お店のおばちゃんが
「アカスリとパックはやめたほうがいい」と判断。
「それ以外のものと、全身リンパマッサージで1万ウォン追加でいいよ」
と言ってくれて、確かにアカスリは怖かったから従うことにしました。
下着まで全部脱いでロッカーに入れ、綿のピンクの薄いガウンに着替えていざ!
・・このガウン、私の身長には丈が短すぎて、
大切なところがチラリズムになってた感じwww
中には黒いスケスケ下着のおばちゃんが5人ぐらいいて、
それぞれ案内してくれたり、アカスリしたり。なんでその格好?w
さっそく麻の大きな布を頭からかぶり、汗蒸幕開始!
ガイド本にはおよそ100度て書いてあったけど、本当それぐらいありそう!
体育座りして母としゃべっているうちに、汗ダラダラ~~~。
一度出て、水飲んで、もう1セット。 その後、サウナw
ガウン脱いでシャワー →2つのお風呂。(大して感動なしw)
母はアカスリへ。 私は全身マッサージ部屋へ。
どちらも共通して言えるのは、扱いが非常に雑だったってこと。
雑というか、指示出しは、むしろ鬼軍曹。
おばちゃん:「ハイ、ウチュブシェ!!」
私 :「・・え? うつぶせ? うつぶせにねる?
おばちゃん:「ウチュブシェ、ウチュブセ!!!!」
私 :「は、はい!」
マッサージは痛気持ち良くて、少~しうとうと・・・
おばちゃん:「テ、オデコ! テ!!」
私 :「・・・はっ! 手?? おでこ??」(モタモタ)
おばちゃん:「テ、オデコ!!!!」
ぐいーーっと私の手をひっぱり、おでこの下へ。
私を寝せたまま、ベッドをダンダンッってたたいて
ベッドを前のほうへ移動させたりw そんな調子で30分ぐらいかな。
首やひざの裏のアトピーが心配だったけど、
使ったオイルが肌質に合ったようで、むしろかゆみがとれた!!
髪の毛かわかして、メイクして、終了。
全部で2時間半ぐらいかかりました。
■13:15 ランチは広蔵市場
思ったよりも店がいっぱい並んでいて、おばちゃん達が
「ビビンバ オイシ~。 チヂミ オイシ~。」と
真顔で客引きしてくる。 人が入っている店に決定。
とりあえず目の前にある、
ビビンバ、トッポギ、キンパ(ノリ巻き)、春雨、おでんをオーダー。
なぜか頼んでない、腸詰め的な気持ち悪いのも出てきた。
おそらく日本人価格にされたっぽい、計3万8千ウォン。
また韓国人に間違われて何か質問されたりしながら、
地下鉄で乙支路入口 へ。
1500ウォンでカード買って、降りたら保険の500ウォンが返金される。
地下鉄も慣れたもんだ。
■15:00 キムチ! in ロッテ百貨店
母が友達のお土産に、散々悩んでレスポのポーチを買う。
この旅の足腰の疲れが出てきたようで、
百貨店に入ってそうそう、キレイなカフェで休憩。
キムチを数種味見させてもらって、小袋10パックのものと、
大袋を2つ買う。 (これが結構重くて、後々まで私達を苦しめる・・)
ロッテヤングプラザでさらっと洋服を見て周る。
やっぱり流行ってるものは、結構一緒なんだなぁ。
■17:00 明洞へ再び!
外に出てみたら、雨が止んでるー!!
位置関係がだいぶわかってきたから、迷わず行けた。
ヌーンスクエアで、母はベンチで休憩してもらって、
またさらっとショッピング。 ZARAとMANGO。
MANGOでシャツと金のネックレス、傘屋さんで
友達の誕生日プレゼントと、自分用に紺地に白ハートの折り畳み傘買う。
母も傘で迷ってたけど、やめて白いテディベア買ってた。
■18:30 しめのごはんはお粥
目についた薬泉という地下1階の店で、エビ粥7000ウォン。
キムチ2種、たまねぎらっきょ、ダイコンスープ付き。
量もたっぷりあったから、ちゃんとおなかいっぱい。
1階のもち米のおかし(くるみ、かぼちゃ)買う。
さて地下鉄で帰りますか と思ったら、思いっきり迷う。
キレイな建物と思ったら明洞聖堂だった。
地図を見てたら、韓カップルが脇を通りながら
「タスケテクレ?」とか言ってたから、おおー!ってなって駅を聞く。
このふたりはなかなか上手に日本語話してて、おもしろかった。
彼氏のほうが母に、「ムスメ デスカ?」て聞いたと思ったら
「オー!ショウカイ シテクダサイ」 とかw
んで母が負けじと、
「だってあなた達二人は、サランヘヨでしょ??」とか言ってみたりね。
明洞駅から乗り継いで、長漢坪駅前のコンビニ寄って、
そこからはタクシーでホテルへ。
■23:00 就寝
明日は4時半起きだ!って思ったら、
緊張しちゃって全然眠れなかった。2010/09/05 09:09:27
- 九州10大観光地を巡る旅...
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何しろ暑かった旅行でした
観光地に、バスから降りると炎天下:::汗が滴り落ちました
バスに乗り、すぐに着替え、想定外の暑さで着替えのTシャツも無くなり2枚坂本竜馬がプリントされてる
Tシャツを買いました
湯布院、九重大吊橋、高千穂峡と1日目は廻りましたが、雨が降ってきて汗と雨で往生しました
2日目阿蘇草千里此処は標高も高く気温も20度肌寒く感じました、広大な景色には感動しました
昨日の蒸し暑さと比べると余計清清しさを感じました
その後天草五橋を渡り、富岡城址公園の坂道を杖を借り汗を掻きながら上まで登り展望台から天草諸島の
島々の景色を堪能しました
フェリーで長崎に渡り坂の街長崎のホテルに到着、ホテルも坂の途中に有りホテルに入るまで汗だくでした
ホテルから見る夜景はさすがに3大夜景に入る景色でした、今までの苦労も忘れるほどの美しさに
感動しました、写真を沢山撮りましたが夜景は難しいですね~
翌日はマタマタ炎天下の猛暑でした、平和公園、南山手地区散策、大浦天主堂、グラバー邸を見学
グラバー邸からの景色の良いのには感激しました
福岡柳川船下りには炎天下36度、どんこ船の上では逃げ場も無く乗船時間1時間の長く感じる事:::
何だかんだ旅は終わり、気心の知れた旅友達3家族、良い思いでが又一つ出来ました
又の旅を約束して羽田空港で別れました
季節的にもう少し後のほうが、もっと楽しめたのではないでしょうか2010/09/05 02:09:40
- 2010年ツール・ド・モンブラン トレッキングの記録04(3...
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TMB3日目・2010年7月22日(木)・晴れ⇒曇り⇒夕方から雨
6:00起床⇒7:40モッテ小屋(1870m)発⇒9:32Col de la Seigne(2516m)着⇒9:45Col de la Seigne(2516m)発⇒11:21エリザベッタ小屋(2258m)着
昼食:エリザベッタ小屋(モッテ小屋のピクニック)
宿泊:エリザベッタ小屋(2食付)、大部屋(146ユーロ/2人:手配分の手数料込み)。
シャワー:チェックイン時にコインを1枚くれる。いつでもOKだがコイン1枚で18Lの制限。直ぐに止まります。
山小屋での充電:大部屋にコンセント見当たらず充電しなかった。
最低標高地点:モッテ小屋(1870m)
最高標高地点:Col de la Seigne(2516m)
歩行距離:約7.1km
歩行時間(休憩込み):約3時間40分(7:40~11:21)
撮影写真枚数:273枚
冒頭写真:エリザベッタ小屋近くからみたAiguille de Trelatete(3930m):中央とGlacier de la Lex Blanche:手前の氷河。
今日のコースはCol de la Seigne(2516m)を超えてエリザベッタ小屋まで。朝から天気良く晴れていたが向かい風が強く最初のジグザグの登りがきつい。気温も低く長袖Tシャツの上にゴアテックを着用。その後まっすぐでゆるやかな上り坂が続くが相変わらず向かい風が強い。ようやくCol de la Seigneに到着したのが9:32。朝晴れていた空もガスに覆われて眺めはよくない。フランス・イタリア国境であるこの峠には、マウンテンバイクの女性2人組やW杯優勝の余韻に浸っているのかスペイン国旗を掲げてトレッキングするスペイン人等がいて賑わっていた。ここからはヴェニの谷に向かって下りが続く。途中、双子のとんがり山が左手に現れるがその付近でマーモットに遭遇した。ヴェニの谷まで下ると道は殆ど平らになり暫く歩くとエリザベッタ小屋が左手に見えて来る。最後に急な登りがあり11:21にエリザベッタ小屋到着。
思ったより大分早く着いてしまい、とりあえずテラスにすわり、モッテ小屋で用意してもらったピクニックを食べる。チーズやサラミ、パテ・ド・カンパーニュ、パンや干し杏、チョコレート、林檎のムース等が入っていて、それぞれの小屋の工夫を感じる。今日も一人分を二人で食べてちょうど良い量だった。イタリアだけあって、山小屋でもモレッティの生ビールのサーバーが!早くついて暇なので、モレッティやエスプレッソを滞在中何度も飲んだ。
部屋は初めての大部屋で8人並びの3段ベッド。一人分の幅が結構狭く、ベットに座ると頭がつかえる。一番乗りの特権で1段目の端を確保。夕方になってシャモニーガイド組合主催のツアー客が入って来たが、3段目のベッドはさすがに多少の空きがあった。シャワーは18Lの制限。最初の10秒ぐらいは水でお湯が出ている時間は大変短い。必要最小限のことしか出来ない感じだった。
シャワーの後、暇だったので小屋から川に沿って上がっていく道を登ってみた。30分程度で戻ってくるつもりだったが、登った向こうの景色見たさに小屋が見えなくなるぐらいまで登ってしまった。氷河の末端にかなり近づいたが、シャワー浴びた後なのにかなりの汗をかいてしまった。結局30分の予定が1時間半を超えてしまい、小屋に戻ったのが15:00頃。その頃から小雨が振り出し、徐々に激しくなった。かなり遅くに(18:00頃)雨の中を小屋から下りて行く人たちがいた。予約が一杯で宿泊出来ずにクールマイヨールを目指したのかもしれない。
夕食はポタージュ、サラダ、 ポークソテー、果物。同じテーブルの人達で、自分に近い大皿から皆の分をよそい合う。食後一旦部屋に戻り荷物を整理。暫くして何か飲もうと再び食堂に行ってみる。満席で諦めかけたが、夕食で隣に座っていて片言の会話を交わしたノルウェー人カップルがいて席に呼んでくれた。他にイギリスから来ているキャンパー3人組も加わり、彼らの名前を漢字の当て字で紙に書いたりして結構盛り上がった。キャンパーの一人、アンソニーが、突然「さくら」を歌いだす。完璧な日本語にこちらは目が点。歌い終わったあと、「さくら」って何?と聞くので教えると、初めて意味がわかったという。歌詞を翻訳して欲しいと言うので、出来るだけ伝えると、とても喜んでくれた。もっと話したかったが、食堂を閉める時間でお開きに。キャンパー達はどしゃぶりの中、テントに戻る。
22:30頃就寝。2010/09/05 01:09:06
- 桃源郷フンザを訪ねてカラコルムハイウエイを走る & パキスタ...
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「欧米で近く攻撃開始」 パキスタンのタリバン運動(2010.9.4 09:56)
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100904/amr1009040958004-n1.htm
2000.5.8
フンザへの旅は初日にラワルピンディーからペシャームまで236kmペシャームからチラスまで206km、合計442kmを実走行時間9時間で踏破しようという長丁場のバスによるドライブで始まった。
バスに乗り込もうとホテルの前へ出て最初に目に入ったのは、銃を肩にした二人の兵隊である。警察かなと思ったが、銃を携帯しているのが物々しすぎるので軍隊かと聞いてみるとそうだと言う。何故軍隊がホテルの警備をしているのかと問うと、1999年10月の政変以来、軍部が主要なホテルや企業や政府機関に監視役として派遣されるようになったという。兵隊が目付役として駐在しているだけで、従業員の規律がよくなり、勤務中の私用や私話がなくなったし、賄賂が減って業務効率が向上したというのである。ガイドの話では検問所も軍隊が監視のため駐在するようになって、車がスムーズに流れるようになったし、民衆も今のところ軍事政権を歓迎しているという。政変以前のシャリフ政権の金権腐敗政治がそれほどまでに末端の規律を弛緩させていたとは驚きであった。シャリフ元首相は最近終身刑が確定したが、人の上に立つ指導者が堕落すると国を滅ぼすことになるという実例を見る思いであった。と同時に軍事政権がいつまでも続くと、ミャンマーや北朝鮮のような密告という人間のおぞましい性向を助長し、やがて民衆を新たな不幸に陥れるようになるのではなかろうかという危惧の念が頭を掠めた。
次に目に入ったのは赤や青色で派手に装飾した霊柩車の往来である。霊柩車と思ったのは実はトラックであった。走っているトラックはすべて赤、青、黄色、緑色などさまざまな色を使い、思い思いの絵柄で華やかに飾りたてている。しかもトラックは背高く荷物を積載しており、過重積載ではないかと思われるほどである。また小型トラックの荷台には人を満載し、後部バンパーを加工した踏み台にも人が立ったままでぶら下がっているだけでなく、天井にも何人かへばりついている。
バスはペシャーム目指して出発した。走っている道路の両脇にはユーカリの木が植えられている。この道はマルコポーロも通った絹の道であり現在はカラコラムハイウエイと呼ばれている。この道路は北京からカラチまで7,520キロメートルを結んでいて、1976年に全線開通した。開通までに十年を要した大工事であったという。
このカラコルムハイウエイをひたすら北上し、バットグラムと呼ばれる集落あたりまでは比較的平坦な道が続き周囲に広がる田畑は緑豊かである。ハイウエイとはいうものの、舗装が施されているというだけの道でところどころ穴があき、補修も完全には行われていないがたがた道である。往復一車線宛のこの道路は専ら自動車が走行しており自転車やモーターバイクは殆ど見かけられない。たまに農業用トラクターが走行していることもあるが一番多いのは満艦飾に飾ったトラックである。たまに山羊や羊の群れが悠然と道路を歩いていることもある。行き交うスズキと呼ばれるタクシーには鈴なりのものもあれば、スカーフを被って顔を隠した若い女性が幌の陰にひっそりと、相乗りしているものもある。スズキとはスズキの軽トラックのことであるが、この国では荷台に腰掛けを取り付けて幌を被せ、人員輸送のために転用されているタクシーを意味する。
二時間ほども北へ向かって走行し、バットグラムの集落を過ぎた頃から道路は次第に山道に入り、周囲は松の木がまばらに生えている山の風景に変わる。やがてインダス河と合流し、河岸を曲がりくねりながらも、どこまでも北へ遡及していくにつれ、道は険しくなっていくが、川沿いに河岸段丘が開けてきて、河の両岸に丹念に手入れされた棚田が現れる。ここはパターンと称される集落である。棚田には水が張られて光っているものもあれば、麦が実って黄色く光っている畑もある。田植えが終わって青々と繁っている水田もある。何枚もの小さな区画の段々畑が山腹を扇状に広がっていく景色は美しい。しかも青田ではスカーフを頭から被った女性が草取りをしていたり片方で水牛二頭に鋤を引かせた農夫が水田を耕していたりするかと思えば、他方では農夫が畑を鍬で耕していたりする。日本でも50年前には見られた長閑な田園風景が静かに息づいている。瀬戸内海の島々で一昔前に見られた段々畑以上にアジア的な高度集約農業の原風景が残っていた。この集落では手前の道路から河を隔てた対岸の道路までおよそ一kmほどの距離にワイヤーを張り、籠をぶら下げて人員輸送をしている。6人が定員の村営ロープウエイである。ロープウエイの下には河岸段丘の棚田が広がっている。
パターンの集落を過ぎると次第に周囲の様相が厳しいものに変わってくる。インダス河は断崖の遙か下を激しい勢いで流れており、周囲の切り立った山々には草木一本生えていない荒涼たる光景に変わる。しかも水の色は丁度セメントを水に溶かしたような灰色をしており、岩石に激突して泡立つ波の色さえ灰色である。更に通っている道路は岩盤を爆破して切り開いたもので、頭上の岩盤にはひび割れが生じていて、今にも巨石が落下してくるのではないかという恐怖にかられる。その上、道幅は狭く路肩が崩れている箇所さえあるので、対向車と行き違うときには思わず手足に力が入り、冷や汗が背筋をしたたり落ちる。
インダス河とは当地で使われているウルドウ語で「危険な河」という意味の通り、河の流れはとても速い。不思議なことに河が流れているにもかかわらず、河岸には緑が見当たらない。インダス河には魚さえも住んでいないというから不可解である。何故かと同行の人達と議論になったが、微粒子を含んだ水では魚も鰓に砂が溜まり呼吸ができなくなるからではないかという結論に達した。またこの河には危険で渡し舟も使えない。
このカラコルムハイウエイでは軍隊から派遣された兵隊が二人一組でブルトーザー1台を守って野営しているのを目撃した。崖崩れが生じたときには直ちに駆けつけて応急措置をとるためだという。ことほど左様に崖崩れの多い道路なのである。
たまに道路沿いに生えている街路樹は植樹されたもので、水の少ない場所に強いディヤァールという木である。
草木の全然生えていない荒涼とした山岳と遙か断崖の下を激しく流れるインダス河を窓外にみながら進んで行くと突如として、緑の段々畑が現れ立木も何本が立っていて、石組みと土で作った民家が畑を見守るロケーションでうずくまっている場所が現れる。砂漠でいうオアシスである。
緑地と荒蕪地を交互に眺めながら高度は次第に上がって行く。
やがてパキスタンでは第二に高い山ナンガーバルパット8125mが見えてきだした。
ところで、パキスタンで一番高い山はK2の8611mであるが、この山はエベレスト8848mに次いで世界第二の高峰である。パキスタンには8000m以上の山が57山もある。6000m以上8000m未満の山が105で、4000m以上6000m未満では600もありこの中には名前のついていないものがかなりあるという。まさに高山王国である。
チラスのホテルでは久しぶりに充分の睡眠を取り、朝8時半にはフンザへ向けて243kmの旅程を五時間で走破する予定で出発した。窓外に見える光景は昨日とあまり変わらない。
時に切り立った山間の谷を流れ落ちてくる雪解け水の流れは、色も澄んでいて白い泡をたてていた。この流れがインダス河に流れこむ箇所だけは色が青くなっているが、すぐに灰色に呑み込まれてしまうのである。また荒涼とした岩肌の山の中腹に鉢巻きを巻いたように緑色の帯が横に長く延びているのが見えることがある。これはパイプラインを敷設して送水している所だという。パイプから漏水して植物が育っているのである。このような景色を見ると水が如何に植物にとって大切なものであるかが如実に理解できる。
緑地と荒蕪地が交互に現れる光景を見やりながらフンザ目指して高度はますます上がって行く。
そのうちインダス河にギルギット川が合流する地点に到着した。ここはカラコルム山脈の山中を源流とするギルギット川とヒマラヤ山脈の山中を源流とするガンジス河が合流してガンジス河一本に合体する地点である。北に向って右側にはヒマラヤ山脈、中央にはカラコラム山脈、左側にはヒンドゥクシー山脈が三方向から競り合っている地点でもある。天気は晴朗で空は抜けるように青く、外気温は四十度近いが空気は乾燥していて汗をかかない。高度は1500m位であろうか。この地点で暫し休憩してから険しい道を走行するうちに木立が現れ、やがて小高い山に星と月とマルコポーロシープの絵模様が刻まれているのがみえるようになるとギルギットの集落である。ギルギットの町には小さな飛行場もあり山中の交通の要衝になっている。ギルギットの町中をしばし散策してから再び車中の人となりフンザへ向けて出発した。
途中ラカポシビューポイントで小休止した。この地点の海抜は千八百mであり、高さ7788mのラカポシ登山のペースキャンプが敷設される集落内にあるビューポイントである。実際のベースキャンプはこの場所より更に600mほど下った海抜1200m地点に敷設されるので、登山家にとっては実登山距離が世界一高い山になるということである。天気は快晴で美しい山の姿に暫く見とれていた。氷河らしきものも山の裾に遙に見えている。
再び高度を上げながらバスはフンザへ向かって進んで行く。次第にポプラの木が多くなり杏の畑が山腹に開けた所がフンザ地方のカリマバードであった。既に高度は2500mになっている。宿泊したビューホテルはインダス河の岸に近い所であるが、屋上に上がって見渡せば四囲の山々を展望することができる絶好のロケーションである。今宵は桃源郷でどんな夢を見るであろうか。
カリマバードのホテルの屋上から四囲を眺めると北側にはお結び型のフンザピーク、細く尖ったレディスフィンガー、雪を被って尾根が波うつウルタル一とウルタル二。東に目を転じれば遙か遠くに、雪を被ったなだらかな姿を見せるパタレーピーク。南にはちょっとだけ顔を出したゴールデンピーク、デュラーレン、ビューティースリーブ。西には右下がりの尾根の見えるラカポシと目立つものだけ拾ってもこれだけある。このほかに名もない山々が群集しているのが眺望できる。南側の山々の麓は剥き出しの岩肌を見せ、切り立った断崖の下に広がる砂原にはインダス河が激しい水勢で流れている。そしてゆるやかなスロープになった段丘にはポプラの林や杏林と麦畑が広がっている。よく見ると灌漑用水路が四通八達しているのが判る。このような山岳地帯ではたゆみなく水の管理が丹念に行われているのである。人の営為があってこそ豊かな緑が維持できていることが判る。人々は坂道をとことこ歩いていて自転車やモーターバイクに乗る人はいない。今は緑一色であるが、杏の花の咲く頃はまさに桃源郷であるに違いない。
ホテルの洗面所で水を出してみて驚いた。灰色なのである。いくら放水してみても色はそのままである。備え付けのタオルは薄炭色に染まっている。これがフンザの普通の水である。現地の人達はこの水で顔を洗い、野菜や食器を洗い、洗濯をして生活しているのである。流石に飲み水だけはこの水を貯めて長時間かけて沈殿させ、上澄みを用いているようである。蛇口からふんだんに透明な水を何時でも利用できる日本人には想像を絶する体験であった。ここでは水とはこんなものだと思いこんでしまえば顔を洗い、洗濯するのも苦にならなくなるものである。肌はすべすべしてくるし潤いが感じられる。流石に飲料にはミネラルウオーターを使った。試しに上澄みを沸かした湯でお茶を飲んだり、持参したウイスキーを割って飲んでみたが腹を下すこともなく却って体調も良くなった。フンザが世界でも有数の長寿村である秘密は案外この水にあるのかもしれない。
翌朝、外が白みかけるのを待ってカリマバードの町中を小一時間散歩した。斜面を上へ上へと上がって行くと道の両脇に商店が立ち並んでいるバザールがあるが、早朝なのでどこも店が閉じられていて人通りもなく静かである。四囲の山々は時々刻々その色合いを変化させて美しい。雪山に朝の光が部分的に当たって輝いていたり、明るい所と陰の所がくっきりと対比されたりしているが日の出と共に次々と色合いが変わっていく。
やがて道路には働きに出掛ける人々がそこここに現れ車が迎えにくるのを待っている。 ちいさな集落なのでそれはちらほらといった感じである。多分道路工事の人夫として稼ぎに行くのであろう。幌をかけたトラックが賑やかにホーンを鳴らして近づいてくると器用に飛び乗っている。
通りがかりに顔を合わせた村人には誰彼となく「ハロー、グッドモーニング」と挨拶すると例外なくにこっと笑って「グッドモーニグサー、ハウアーユー」と返ってくる。年輩の人でもそうである。イギリス統治時代の影響なのであろうか。帰りに十三歳の少年と道々話しながら歩く機会を得た。彼は綺麗な英語を話す。私の話すブロークンの英語をよく聞いていてV音やTH音を正してくれたりした。彼の言ったことの中で英国人は傲岸で怒りっぽいのに対して日本人は紳士的で優しいから日本人のほうが好きだといった言葉が印象に残っている。
ホテルに帰ってからジープに分乗し、フーパー氷河の観察に出掛けた。狭く急な坂道をジープが曲がりくねりながら進んでいくと高度はどんどん上がるし、切り立った崖縁を通る時には冷や汗が背筋を伝う。やがてナガールの集落に到着した。ここでは杏畑と麦畑が広がっていて畑では女性達が草取りをしていたり流れで洗濯をしたりしている。鍬で田を耕している老人の姿も見受けられる。ここではゆったりと時間が流れている。傍らでは子供達が大勢屯して水遊びしたり走り廻っている。我々のジープが止まると子供達は物珍しそうに美しい瞳を輝かせながら集まってくる。田園風景と朴訥な人情が四囲の山々と調和して実に長閑で心安らぐものを覚える。
ここからはレディスフインガー、ウルタル、ゴールデンピーク、シャルダルピーク等の山々がカリマバードのホテルの屋上から見たのとは違った角度と大きさで眺めることが出来、山の姿の多様な美しさに感慨一入である。ナガールで美しい山の景色をカメラに収めてから、ジープはフーパービレッジに到着した。ここにはヒルトンという休憩所が設けられていて、飲み物のサービスが受けられるようになっている。縄張りの外には現地の大人や子供の物売り達が手彫りの石の像やガーネットや水晶、青石等を手にして待ち構えている。
暫し寛いだ後、見張らし台に登ると眼下にフーパー氷河が広がっている。氷河とはいうものの色は薄黒く、丁度都会地に積雪後、雪掻きをして道路脇に積み上げた雪山が溶けかけてアスファルトの粉塵と混じり合い薄汚れているのと同じような色をしている。このカラコルム山系の地質がしからしむるところなのか、灰色の勝った氷河である。
フーパー氷河の観光を終え再びカリマパードへ戻ってきて、山の中腹にあるバルティット城を見学に行った。
この城は760年程前に築かれたフンザ土侯の居城で1845年まではミールと称される土侯が住んでいたところである。土と石で外回りを固めた城の中の部屋はジェニパルという名の木材が用いられており、この地方の一般的な住居の造りになっている。明かりは天井の穴からとるようになっており、冬寒く夏暑い気候に対処できる工夫がなされている。
フンザはフンザ渓谷の北部一帯を領域とする地域のことで1974年まではフンザステートとして内政の一切がミールに任されていてパキスタン領内の自治国であった。従ってフンザの人々はミールに対しては今でも絶大な敬意を払っており、特別な存在と見做している。現に新しい立派な宮殿にはミールが生活していて村人の相談事にも気軽に応じているという。ミールの経営するロイヤルホテルはフンザ第一の高級ホテルである。
フンザの人々はイスラム教徒であるがイスマイリー派と呼ばれる独特の一派でモスクを持たず、言葉もブリシャンスキーという独特のものを使っており、この言葉は周囲から全く孤立している。このためフンザの人々はアレクサンダーの遠征軍の末裔であるという伝説がある。住んでいる人々もギルギット付近の人達とはどこか異なった風貌を備えているように見えるし、フンザ人はなによりも誇りが高い。
フンザ地域の属するカシミール地方はその帰属を巡ってインドとパキスタンの間で紛争の種となりやすいがそれは以下のような歴史的な事情が背景となっている。
つまりイギリスの保護領であったカシミールは、1947年にインドとパキスタンがイギリスから独立したとき、住民の大半がイスラム教徒であったのに土侯がヒンズー教徒であったが故に帰属をインドとしたことから紛争が始まり、インド・パキスタン間に戦争が起こって国連の調停で休戦となったのである。暫定の国境線が決められたままの状態が現在に至っているのである。
翌日は更にカラコルムハイウエイを北上し、パスー氷河とバトゥーラ氷河を見学に行った。氷河に近づくにつれフンザ川の両岸にそそり立つ山々には大昔に氷河が崩落した跡と見られる砂地の扇状斜面があちこちに見られ、堆積したモレーン(氷河が押し出した岩石や砂が堆積してできた山)がそちこちに築かれている。そしてその扇状の斜面の下部の砂原を直角に削りとるような形でフンザ川が貫流している。やがて左側の山間に氷河が流れ止まっているのを見ることができた。パスー氷河である。この氷河もフーパー氷河程ではないがかなり薄汚れた色をしている。
さらに北上してバトゥーラ氷河を見に行った。1905年に河口が現在位置にまで動いて氷河の長さは47kmに及ぶと言われているが、氷河の河口はモレーンになっており、素人目には岩石と砂の小高い山にしか見えずこの下に氷河が潜りこんでいるとはとても思えない。ただそうかもしれないと思わせるのはモレーンの麓に小さな池が二つほどできていて透明な碧色をしていることである。これが氷河湖である。微粒子で汚れた水も溜められて時間の経過とともに微粒子が沈殿して透明な色になっているのであろうと推測される。カラコラムハイウエイは丁度バトゥーラ氷河の河口のモレーンの裾野を通るように敷設されたのであろう。実際の氷河を見るためにはこの巨大なモレーンを乗り越えて険しい山を登っていかなければ見ることができないという。
帰りにグルミット村で一般家庭を訪問する機会に恵まれた。石組みと粘土で作られた塀の中はさらに迷路のような道が入り組んでおり、粘土と石組みで築かれた家の中へは小さな潜り戸を通って入る。入り口を入ると天井に明かり取りのある20畳敷程の広さの部屋があり、絨毯が敷いてある。部屋の真ん中には畳二枚分程の土間があり、冬には火を焚ける設計になっている。天井の明かり取りは煙突も兼ねているようである。台所兼用の居間の壁には皿が何枚も飾られていた。このような部屋が大小取り混ぜて一つの家が構成されているのである。たまたま家長の老人が病の身を押して出てきて伝統の楽器で一曲民族音楽を奏でて歓迎してくれた。パキスタン人は大家族主義で、祖父母、親子兄弟、孫までが夫婦ともども一つ屋根の下で生活しているという。現代の日本人にはとても考えられない生活がパキスタンの田舎では現実に営まれているのである。訪問した民家の隣の家は女系家族で妙齢の娘達が十人近くも塀の中から顔を覗かせて、我々一行を物珍しそうに眺めていた。恐らく大家族内の姉妹、伯叔母、姪という関係にある女性達だろうと思われる。
フンザの旅は大自然に没入し、身も心も洗われる思いのする至福の一時であった。2010/09/04 11:09:51
- 榛名山 ゆうすげの道 花咲く季節にハイキングしたい...
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榛名山ふもとの駐車場ちかくに、ゆうすげの道という遊歩道があります。
ゆうすげは花の名前ですが、私たちが行ったときには花はほとんど咲いていませんでした。
木道がありますが、ところどころ腐っていたり割れていたりします。
草の竹が長く木道を覆っているところもありますし、
真夏でも長袖をはおり、短パンではなく丈のながいズボンかジーパンにスニーカー、
登山靴ならベストでしょう。
そもそもここに来る予定ではなかったとはいえ、
短パンとサンダルで遊歩道にのこのこ入って行った私は、
小枝や葉っぱで小さなひっかき傷がたくさん出来てしまいました。
虫よけスプレーしていても、かなり刺されました。
草むらを歩かないとしても、山の天気は変わりやすいし、
暑くても予備の長袖シャツ&ジーパンは必要だと反省しています。
ゆうすげの道をあるいていると、
どこからItsy Bitsy Spider♪ のメロディが。
日本では静かな湖畔という曲だったかな?
かっこ~ かっこ~ と輪唱するあの曲です。
榛名湖メロディラインというそうです。
空気の密度が濃いというか、何もないようで
心地よい散歩コースでした。
今度は、花いっぱいの季節に来てみたいです。2010/09/03 03:09:40
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